開催日:2026年2月10日(火)
場所:在日チュニジア共和国大使館
司会:日本チュニジア友好協会 平利メレズ会長
講演会 17:30〜18:20
講演タイトル:「1861年憲法とチュニジアの立憲精神の伝統」
講演者:私市正年氏(上智大学名誉教授)
講演要旨
1881年憲法制定へと至る政治社会的背景として、まずオスマン帝国によるチュニジア征服(1574年)、フサイン朝の成立(1704年‐1958年)という歴史的状況から話を始められ、憲法制定を促した外的要因として、西欧列強の進出と改革への圧力があったこと、また内的要因として近代的改革主義思想の台頭(トルコのタンジマート勅令とSfez事件など)があったことが説明された。また1861憲法制定に先立ち、1857年に憲法発布を前提とした基本原則(11ヶ条)を定め、ハズナダル宰相が制憲委員会を設置し、4名のマムルークが中心となって憲法を起草した。憲法は1861年1月29日に公布、同年4月26日施行となったが、それは中東諸国の憲法制定の年、トルコ(1876年)、エジプト(1881年)、イラン(1906年)、また日本の1889年と比較しても極めて早期のものであった。1861年憲法はQānūn al-dawla al-tūnisīya(チュニジア国家法)と呼ばれ、13の章、114ヶ条から構成されている。またその特徴としては、欽定憲法として、1.立憲君主制、2.権限と権力の帰属(三権の未分化、最高権限としての大評議会)3.行政権、4.立法権、5.司法権、6・基本的人権についての記載があることなどが指摘された。しかし、この憲法はわずか3年で停止となった。ただし、1861年憲法が具体化した立憲精神の伝統は、その後もチュニジアの政治文化に大きな影響を与え、また継承されていき、それは「アラブの春」の発端となった「チュニジア革命」後の妥協や譲歩による政治解決手法にも表れており、カルテット(4市民団体)のノーベル平和賞の受賞にも繋がったと解説された。
講演の後、参加者からはチュニジア独立後の君主制廃止後のその家系の人々の境遇について、またチュニジア特有の穏健な国民性と古代ローマ文明との関わりなどに関する質問があった。チュニジアの政治文化の特徴について知るうえで極めて興味深くまた有意義な講演会となった。
レセプション 18:30〜19:30
平利メレズ会長とアハメッド・シャッフラ駐日チュニジア共和国特命全権大使のご挨拶に続き、チュニジアの代表的料理であるクスクスをはじめとした数々の料理がふるまわれました。大使館員とJTFA会員約20名が和やかな雰囲気のなか懇談・交流を深め、盛会のうちに閉会しました。



